長いお別れ【映画感想】岸辺の旅(2015)

   

物理学に、ホール(正孔 / せいこう)という考え方がある。

整然と並んだ電子の列で、そのうちのひとつの電子が、何かの拍子にひょっこり抜ける。抜けたところには穴が空く。

そこに電圧をかけると、穴のとなりの電子が移動して、穴を埋める。代わりにとなりに穴が空く。

今度はさらにとなりの電子が移動して、穴を埋める。そうやってひとつずつ、穴を埋めながら電子が移動していき、電流となる。

穴に注目すると、あたかも穴だけが動いているように見える( [Wikipedia] の画がわかりやすい)。

瑞希(深津絵里)と優介(浅野忠信)の旅も、この「穴の移動」のようなものだな。

映画を観ながら、そんなことを考えた。

岸辺の旅

映画『岸辺の旅』(2015 / 黒沢清監督)の試写会に行ってきた。

失踪した夫が、3年ぶりに妻のもとに帰ってくる。夫は「俺、死んだよ」と妻に告げる。ふたりは、夫が世話になったひとたちを辿っていく旅に出る。そんな物語だ。

あらすじだけをみると、なんじゃそりゃ、と思うようなおはなしなのだが、いざ観てみると不自然さはまったくなくて、よくできたメロドラマであり、ファンタジーであり、ロードムービーでもあり、映像表現としての魅力にも溢れていて、観終わったあとにはしんみりとした感情と、ほのかな暖かさとがない交ぜになったような、不思議な気持ちにさせられる、とってもステキな映画だった。

ふたりの旅は、別れの旅でもある。

旅をしながら、できなかったお別れを、少しずつしていく。

妻は「別れたくない」という気持ちを抱きながらも、ちゃんと別れなければならないという決意を、徐々に固めていく。

移動を伴う、物理的な旅をつづけながら、あちら側(彼岸)とこちら側(此岸)の境界(岸辺)を歩くという、精神的な旅をする。

別れといっても、さほどの悲壮感はなく、夫婦の掛け合いはむしろ微笑ましくて明るい。

そんな男女の情景も、この映画の魅力といってよく、いっぽうではある種の死生観といったものを、しっかりと描こうとしていて、ちゃんとするところはちゃんとするという、そんなメリハリがまた心地いい。

映画を観ながら、ぼくは祖父が死んだときのことを、正確には、死んでから数年間のことを思い返していた。

もう5、6年前のことだが、ぼくの祖父は突然、死んだ。

そのさらに5、6年前から患っていて、ときおり入退院を繰り返してはいたものの、まだまだ元気で、死ぬ前夜も家族一緒に家で食事をしていたし、別れが近づいているということは頭の中に漠然と芽生えていたように思うが、それはまだ数年先のことだと思ってもいたので、その「最後の晩餐」の数時間後に、心筋梗塞で突然逝ってしまったときには、祖父が一家の大黒柱だったことも手伝って、家族全員、途方に暮れた。

葬儀などの諸々が、慌ただしく過ぎ去ったあともしばらくは、その「いなくなった」という事実が、家の中には確実に存在としていたと、今にして思う。

「いなくなった祖父」という穴とともに暮らしながら、「死」という事実を、数年かけて徐々に受け入れていったような、そんな感覚があった。

あのころの数年間は、遺されたぼくたち家族にとっての「岸辺の旅」であったのかもしれない。そんなことを思った。

冒頭の、ホールのたとえにはなしを戻すと、空いた穴に(となりのものではない)自由な電子が落ち込んでくると、再結合を起こして穴は消滅してしまうのだが、その代わりに、光が生み出される。

人間も、ちゃんとお別れをしたあとには、希望や勇気、あるいはなにがしかの決意といったような、陽性で明るい光が射し込むのではないか。

映画を観て、そんなことも思ったりした。

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