がんばらないために、がんばる。

      2014/07/17

頑張らないために、我ん張る。

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photo credit: Paul L Dineen via photopin cc

「頑張れ、というのはさ」 (略) 「もともと、我を張れ。ってところから来ているんだ。我 (われ) を張り通す。『我を張れ』が変化して、『がんばれ』だ。自分の考えを押し通せ!ってことかもな」

(略)

「あ、そういう意味では、頑張れ!っていうのは『おまえの考えは間違ってないから、そのまま突き進め』という意味合いなのかもしれないな。頑張れ、間違ってないぞ、と」

via: P41, あるキング (伊坂幸太郎)

というわけで、一行目の「我ん張る」は誤変換ではありません。

「がんばれ」は好きじゃない

世の中ではけっこう気楽な感じで「がんばって!」と言ったりしますが、僕はこの「がんばれ」とゆう表現があまり好きではありません。

こういう挨拶のような感覚で交わされる「がんばって」にそれほど重大な意味はない、てことはわかっていますし、僕自身何かしら一言声をかけたい場面では、「がんばって」に変わる適切な表現が思いつかなくてつい言ってしまうこともあります。

それでも「がんばって!」と言ったり言われたりすると、そういう軽い感じだとわかってはいても、何か後ろめたさだったりむずがゆさだったりの違和感のような引っかかりを感じてしまいます。

「言われなくたって、頑張ってるよ」「あいつはもう十分頑張ってるよなあ」「頑張るというよりは、むしろ少し休んだ方がいいんじゃないか」などなどなど。

「がんばれ!」なんて言わなくたって、頑張ってる人は頑張っています。そういうのはその人のことをちゃんと見ていればわかることですし、何か言葉にしたくないという気持ちもあります。

というか、人間誰しも生きるためには何かしら頑張ってるだろうし、そもそも頑張ることが素晴らしいみたいな前提があるけどそれ自体がまずどうなのよ……。

「がんばれ!」なんて、わざわざ言わなくてもいいじゃん。そんな風に思っていました。

でも「我ん張れ」なら、言ってもいいかなあ。というかどんどん言っていきたいかも。

三塁コーチ

「野球で言えば、『フェアだ!』と叫ぶのと同じかもしれない。ファウルじゃない、フェアだ!だから自信を持って走れ!って」

via: P41, あるキング (伊坂幸太郎)

子供の頃、僕は少年野球チームに所属していました。あんまり上手ではなかったので、ヒットを打つことなんかは稀でしたが、それでも四球なんかで運良く出塁することはありました。

出塁した後、次の打者がヒットを打った場合、一塁ランナーである僕は、当然二塁へと向かって走ることになります。必死に。全速力で。

二塁にたどり着く頃、僕は打球の行方を確認します。「三塁へは行けるだろうか」といった感じで。

「ボールはまだ外野を転がっている。行けるぞ!」そうやってまた走って、三塁にたどり着く頃になると、今度はホームへ行けるかが気になるので、またボールの行方を探します。

「野手がようやく捕球したところか、これならホームインできそうだ」そんな感じで駆けに駆けて、一塁から一気に生還。ホームイン。

得点したからみんな喜んでくれるだろう、監督やコーチは褒めてくれるだろうなあ、などと期待しながら悠々ベンチへ戻るのですが、残念ながら大人たちからは褒めもらえませんでした。

それどころか、逆に叱られることが多かったです。「何をキョロキョロしながら走っているんだ、走塁に集中しろ」と。

進塁できるかどうかは、ボールを自分で見なくても「三塁コーチ」が教えてくれます。コーチはいつも同じ場所に立っているので探す必要もないですし、進む先にいるから必然的に目に入ります。

僕は三塁コーチの指示だけを見ていればよくて、あとは全力で走っていればよかったわけです。

一人でがんばる、誰かとがんばる

誰かに「がんばれ!」と言う行為は、三塁コーチの役割にちょっと似ています。腕をまわす「走れのサイン」は「大丈夫だ!自信を持って走れ!」と言うのと似たところがあります。

野球の走塁も人生も、何かに集中して「がんばる」には、誰かの支えがあると楽なのは一緒です。三塁コーチのような補助者が寄り添ってくれるだけでも、物事は格段に楽になったりします。

逆に考えると、「一人で『がんばる』のはとても難しい」とも思います。

実際に言葉をかけるかどうかは別にして、人間誰しも「おまえは間違ってない」という誰かの支えがあってこそ「がんばれ」ます。

間違ってないって自分ではわかってる。わかってるけどそれでもやっぱり誰かに背中を押してほしい、なんてこともあります。

止める勇気

腕を回してくれる人は世の中たくさんいるなあ、と思います。

「がんばれ!」「がんばって!」「がんばろう!」。いたるところ「がんばれ」で溢れ返っています。「がんばれ」の洪水です。

でも時には止めてあげないと、アウトになってしまいます。外野手は強肩かもしれません。あるいは次は4番バッターかもしれません。無理をしない方がいいってこともあります。

三塁コーチの「ストップ!」は、腕を回すこと以上に大事な仕事です。「止まれ!レーザービームが飛んでくるぞ!」

野球に限らず、時には立ち止まることも必要です。野球ならホームでアウトになっても次のイニングで取り返せばいいかもしれませんが、人生の場合そう簡単には取り返せないことがたくさんあります。

そんなに頑張らなくてもいいよ、今はここまででいいよ、そんな風にストップをかけてくれる人はとても少ないなあと思います。

僕は、そしてこのブログはそういう、誰かの三塁コーチのような存在になれたらいいなあ。そんな風に思う今日この頃です。

がんばらないために、がんばる

そもそも僕は「がんばることは素晴らしい」といった、ある種の前提そのものに懐疑的です。

むしろ全然頑張っていないように見えるのに、すごいことやってのけちゃうような人に憧れます。頑張ってる姿はあんまり見せてくれなくてもいいかな、と思うわけです。

痛烈な当たりをダイビングキャッチ、というのは派手で見栄えがいいです。「よく頑張った」となります。好プレー。

でも本当の名手はポジショニングから優れているので、打球が飛んできたときにはサラッと簡単に捌いてしまいます。あんまり派手なプレーは見せません。そういう方がカッコいいです。

派手なプレーはケガに繋がりやすいです。無理が生じるから当たり前です。真のプロフェッショナルは明らかに無理なときは飛び込みません。ケガが怖いからです。頑張ってる姿だけを見せても、成し遂げられなかったら意味がないのです。

「やり過ぎない」ということは、一直線に「がんばる」ことよりもはるかに難しいことです。

名手はがんばっている姿を見せないためにがんばっています。その方がカッコいいですし、それ以上に効率もいいです。ケガのリスクも減るので、いいことずくめです。

僕もがんばらないためにがんばりたいなあと思います。

 -小説

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